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★「EVE burst error」編★

 シーズウェアのEVEシリーズに関する雑記で、
ここでは「EVE burst error」に関する記述をまとめました。
小出しにしているので読みにくいですがご了承下さい。

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▲002▲ ●2000.09.19●
■はじめに■
 大げさな話しだが、もしも、筆者の生涯で体験したAVGで、ただ一つだけ最高傑作を上げるとすれば、それは間違いなく「EVE burst error」であろう。そして、このAVGを創った「剣乃ゆきひろ」(菅野ひろゆき)という人物はなんと偉大な人物であろうか。
 といっても、自分は卓識が有る訳ではなく、それほど多くのADVをこなして来た訳ではない。しかも迂闊な事に「この世の果てで恋を唱う少女 YU-NO」すらプレイした事がない。雑誌等で剣乃氏に関する記述を見ると「この世の果てで恋を唱う少女 YU-NO」について、高い評価が添えられる事が多々有るので、もし将来「YU-NO」をプレイする事があれば、一番と再評価するかもしれないが、平成12年9月19日現在では「EVE burst error」が筆者の狭い見識ではBEST OF AVGである。有り体に言えば、筆者が最も面白いと感じ、また最も好きなADVが「EVE burst error」なのである。
 もちろんEVEシリーズ全体が大好きなのであるが、「EVE burst error」以外EVEは傑作とは思ってはいない。「好き」-「嫌い」と「面 白い」-「つまらない」は別ベクトルであるし、むしろ「EVE The Lost One」などは、友人等とゲームについて語らう際には所謂クソゲーの代名詞にすら使っている。EVEシリーズは、平成12年9月19日現在では4作品が発表されているが、「EVE burst error」は他の3作品を大きく引き離して秀逸であり別格と言って良い。

 

▲003▲ ●2000.09.13●
■単なるギャルゲーではなかった「EVE burst error」■
 「EVE burst error」はマルチ・サイトシステムと呼ばれるザッピングシステムを搭載したコマンド総当たり式AVGであり、 優れた人間描写で魅力溢れるキャラクター達が織り成す濃密なストーリーと感動の結末は、正しく類い希なる傑作であるが、多数の美女キャラクターが登場し、且つPC98版においては過激な性的描写 を含む18禁作品であった故、所謂「ギャルゲー」や「エロゲー」の類に区分される。  このあたりの区分の厳密なる規定には関知しないが、AVGであろうと、シュミレーションゲームであろうと、シューティングゲームであろうと、パズルゲームであろうと、多数の女性キャラが登場すれば、「ギャルゲー」であり、ヌードシーンや性的描写が盛んなら「エロゲー」という事になるらしい。ともすると、カテゴリーの上では「ギャルゲー」、「エロゲー」の範疇に入る「EVE burst error」であるが、 この作品の際だって優秀な要素は、多数の美女キャラクターが登場する点でも、性的描写が過激な点でもない。 取り分け、好みの原画師の画境や、贔屓の声優の麗声、性的描写の過激さのみを審美眼としている人にとって、恐らく「EVE burst error」の評価はあまり高くないに違いない。また、性的描写 は兎も角として、「ギャルゲー」、「エロゲー」に、情話、特に女性キャラクターとの純愛や恋愛をこそ期待している人も肩透かしを食らう可能性が多分にある。何しろ、片方の主人公である天城小次郎は、恋人をこそ居るが、その場その場での行きずり的なセックスを繰り返しており、純愛、恋愛とは言い難いし、もう片方の主人公法条まりなには、一様桂木源三郎とのロマンスがあるものの、女性キャラクターであるから男性プレイヤーでは疑似恋愛に感情移入していくのはなんとも難しい。 逆に、「ギャルゲー」や「エロゲー」に好印象を持たない人が、プレイする前から所詮「ギャルゲー」だから、所詮「エロゲー」だからという先入観のみで「EVE burst error」を見縊るのであれば、それは大変勿体の無い話だ。試しにプレイしてみれば、著者の様に絶賛するか否かは別 としても、必ず良い意味で裏切られる事だろう。良い意味も、悪い意味でも、「EVE burst error」に「ギャルゲー」、「エロゲー」という前提を構えるのは剣呑である。

 

▲004▲ ●2000.09.13●
■「マルチサイトシステム」■
 「EVE burst error」の魅力を語る時、いの一番に上げられるのが「マルチサイトシステム」と呼ばれるゲームシステムである。良く三流のゲーム会社が、自分達の開発した大して斬新でもない機能に、大げさな名前を冠して大々的にプロパガンダするというのがあるが、この「マルチサイトシステム」に関して言えば、奇抜で良く出来たシステムであったろう。 コマンド総当たり式ADVにおいて、複数の主人公を交互に変えつつシナリオを進めていくというシステム、所謂ザッピングシステムというのは、過去にも幾つかの例がある特にもの珍しいシステムという訳ではなかったが、全く異なる目的をもった複数の主人公達の異なった視点を、任意のタイミング、詰まりは同一時間の上で切り替えて話を進めていくという趣向は、筆者には前例が無かったので大変斬新であった。 無論、「マルチサイトシステム」の採用そのもののみが「EVE burst error」の功績ではない。 実際、この「マルチサイトシステム」はEVE4作品総ての謳い文句となっていたが、「EVE The Lost One」は類い希なる愚作であったし、「ADAM THE DOUBLE FACTOR」や「EVE ZERO」も愚作とまで酷評しないまでも、傑作という程ではなかった。「マルチサイトシステム」は、それに見合う秀逸なストーリーと適合して、初めてその真価を十二分に発揮するのである。 そして、「EVE burst error」のストーリーは「マルチサイトシステム」に絶妙にマッチングしていた。

 

▲005▲ ●2000.09.13●
■プレイヤーの心を惹きつける重厚なシナリオ■
 プレイヤーは、天城小次郎と法条まりなの2人のキャラクターのシナリオを、 交互にの切り替えながら操作し、それぞれ違う立場、違う目的をもつ2人の人物の視点を体験しつつ話を突き進めて行く。最初は別 の思惑で行動しており、距離も全く遠い2人であったが、物語が進むにつれ、 助け合ったり、絶妙のタイミングで擦れ違ったりと、双方のシナリオに影響を及ぼしつつ交錯し、感動と衝撃のクライマックスへと誘う間には多数の感動的、刺激的なエピソードを含み、プレイヤーの心を引きつけて已まない。
 「EVE burst error」は、結構な長編にもかかわらず、ストーリーに中弛みが無い。 というより、だらだらと話を引き延ばして長編に見せ掛ける蛇足がないのだ。 得てして、長編作品という物は、プレイヤーをその世界観に引きずり込む為の序盤、また感動のクライマックスへ登り詰める終盤のみが篤く描かれ、プレイし終えてみれば、物語の中盤に如何様なエピソードが含まれていたかが忘却されうる事が多々ある。エンディングに感動した秀作でも、その経過は今一つ印象が薄い事があるものだ。
 もちろん「EVE burst error」も割り方エンディング周辺と、取り分けテラーの生き様に、 アクセントを置かれている事に相違ないのであるが、その過程は疎かにあらず。プレイヤーの集中力が削がれ、 今一つ世界観に没頭出来ないという事は全くない。 むしろ、終局に至る間、これでもかこれでもかという位 にふんだんな「さわり」が有る。 単にエピソードが多く織り込まれているというより、山場が多く仕込まれていると言った方が良いか。 しかもその山場というのが巧妙で、プレイヤーの視点から観ると、ここがこの物語の最高峰であろうと思わせて、 実は物語全体を見渡した時に、峠の一つに過ぎないという場面など度々だ。
 まさに良い意味で騙されるシーン、所謂どんでん返しが過分にある。  本当に最後まで世界観に没頭でき、恍惚とラストまで駆け抜けてしまった為、むしろ短くすら感じられた。

 

▲006▲ ●2000.09.13●
■物語のあらましについて■
 「EVE burst error」の物話のあらましはどういったものか。
 EVEシリーズ全般でそうなのだが、どうもサスペンスドラマの如く総括される事が多い。 筆者も、プレイし終わるまで、店頭デモやパッケージから受けた印象から、殺人事件か何かを推理したり、銃撃のアクションがあるサスペンス物か何かだろうと推察していた。ところが、実際には物語の取っ付きである護衛任務や探偵仕事、更に殺人事件といったサスペンス要素に加えて、国家レベルの陰謀、政治抗争が有ったり、恋愛、失恋ラブロマンスが有ったりと実に様々な要素が加味されていて驚かされる。 そしてもう一つ、重要な要素があった。SF、サイエンスフィクションだ。  SF作品と言われると、大体、大気圏外に広大な居住コロニーを建設したり、宇宙戦艦やロボットが登場したりする、文明が高度に発展した未来の話などの壮大な話を夢想してしまうものだが、「EVE burst error」で用いられる空想科学は、クローン人間、人間の記憶の移植といった、近未来に現実化出来そうな比較的地味な事項である。何やら現実に有りそうでいて、現実にはまだ無い。壮大過ぎて嘘臭いという事もない。 以外と要目ではあるが、御堂真弥子が実際にはμ 101であったり、Cプロジェクトやそれに伴うエルディア共和国の陰謀などはシナリオを進めていかなければ露呈しえぬ 事項なので、SF作品としての要素はソフトの謳い文句にはならない。実際、EVEを知らぬ 人間に、話の顛末を秘匿しつつ、あらましを紹介する際などには、SF作品であるとは漏らせないのが口惜しい。 これら、一つでも欠かせない要素の絶妙なる混和が、EVEの卓絶なる舞台設定、世界観を形成する訳である。 「桂木探偵事務所」、「エルディア共和国」、「Cプロジェクト」、「μ101」、「テラー」、「EVE」、etc・・・。 どれもまた、魅力的で可能性を含むキーワードではないか。
  この辺り、上手く生かしきれれば、シリーズ全体として、大河作品と成り得るだけの魅力と可能性を秘めていたのだが、後日発売されたどの続編も、「EVE burst error」には遠く及ばない出来栄えに終わったのが残念でならない。 すばらしい食材を多々残したにも関わらず、後日調理に失敗したといった所であろうか。
  そして、舞台装置や演目もさる事ながら、それを演じる登場人物達も秀逸であった。

 

▲007▲ ●2000.09.25●
■登場人物について■
 「EVE burst error」の登場人物は以外に少ない。あれだけのの長編にも関わらず、主要キャラクターは都合17人と言ったところであろうか。
 ゲームによっては、登場人物の多さを謳う物が多々見受けられるが、 筆者の考えでは寧ろ、人数の多さより、人物一人一人の濃さにこそ頓着する。只単にゲームのヒントを伝えたり、フラグ潰しの為だけに登場しただけで、人格など何一つ無い者や、主人公にだけ都合が良く、最後には股をおっ広げて腰を振るだけの女性キャラが幾ら沢山「出現」しても仕方がない。 登場人物一人一人の個性というか、人間臭さが見えてこない薄っぺらい人物では自ずとドラマもちゃちとなる。
 キャラクターの個性とは、身長はいくつだ、体重はいくつだ、誕生日はいつだ等と、後日発売されるファンブック等の為に、人物設定などがごちゃごちゃと決まっているという事などではないし、好きな絵柄の原画師のキャラデザであるとか、人気の声優が声を充てているとかではない。それらは総てキャラクターの身体的特徴であって、ここでいうキャラクターの個性ではない。
 「EVE burst error」では、どのキャラクターも、最高にカッコ良く、憎たらしく、愛おしく、誰もが羨む理想の人物も居れば、誰もが忌み嫌う卑劣漢もいる。各々生活感があり、仮想世界で巡り会う以前の人生すら感じられる。パっとその場を繕う為に生えてきたのではなく、あたかもそこに居た、生活していたかの如く振舞い、各々ナチュラルで魅力的なセリフを発する様は、キャラクター個人の人生の重みすらひしひしと感じさせる。
 小次郎やまりなにはゲームの進行に直接関係無い、なんでもないセリフが多いが、その中にも人間臭く魅力的な発言が多い。形式上彼らが「独語」をしている場面 であっても、実際にはそれを「聞いている」プレイヤーとの掛け合いとなり、何でもない独り言の連続も、ナチュラル且つ秀逸でプレイヤーを主人公達の人格に引き込まれていく要因となる。
 また、文体のみ、実際には発音していない場面。所謂心理描写に関しても秀逸であった。「怪訝」、「悔恨」、「憎悪」、「喜悦」、「悲愁」といった彼らの心情も極めて克明に伝わって来る。とりわけ年輩のキャラクター達の渋い妙演にはずしりと重たい手応えを感じさせられずにはいられない。本当に見事だ。

 

▲008▲ ●2000.09.25●
■酒盛りの事■
 「EVE burst error」の名シーンを逐一列挙しては限が無いのだが、一つ挙げれば、筆者が後々になって感慨深く思ったシーンに、まりな、弥生、真弥子の3人で酒盛りをするシーンというのがある。
 このシーン、実は後に「ADAM THE DOUBLE FACTOR」と「EVE ZERO」でパロディーとされている。内気でまだ完全に開かれていない真弥子の心中をほぐすという、一種ありがちな展開ではあるが、3人の性格、セリフのナチュラルな様にはかなり心惹かれるものがある。多くの「EVE burst error」ファンがそうである様に筆者もこのシーンを境に、御堂真弥子に強烈な懇意を抱き、彼女を守ってあげたいという心情が激烈に高揚した。
 ゲーム世界の中において、小次郎はプリンに対して、まりなは真弥子に対して、それぞれ警護や共同生活を通 じて徐々に打ち解けていく。二人して事件や困難を乗り越える事で心の隔てがなくなって親しくなる訳だが、佳境に至るまでのそうした懇親があればこそ、トリスタン号での衝撃的な別れで思わず涙を誘うのである。
 ラストで、それに至るまでの彼女との思い出が走馬燈の如く思い起こさせられというのは、制作者の意図する演出であり、もちろんこの愛おしい援護対象自体がそれを引き出す伏線なのだが、あまりにも良くできた仕掛け爆弾で感服する。

 

▲009▲ ●2000.10.01●
■感動のラストシーン■
 筆者は特に多くのAVGやゲーム作品をこなして来た訳ではないので、おしなべて言えないが、なかなか感動して泣けるゲーム作品は少ない。
 映画や他のメディアを含めて、思わず感動して涕涙を零す事は稀なのだが、「EVE burst error」のエンディングには不覚にも込み上げてしまった。
 昔は単なる悲話などを観て、よく涙してしまった憶えもあるが、年相応に慣れてしまったらしく、最早単なるお涙頂戴物には反応しなくなっていた筈である。 にも関わらず、涙腺を熱くさせる感動は何に対してなのだろうか。
 トリスタン号にて窮地に陥り、やがて脱出したであろう小次郎とまりなの2人の主人公達。だが、2人の視点から物語を視ただけでは総ての謎は解き明かせはしない。物語の真実が赤裸々になるのは、まりなと小次郎、そしてEVEの3人の視点が完全に交叉した瞬間である。正確に記せば、真弥子の心情は、後日に日記を読んだプリシアの視点を通じてプレイヤーに表され、各々別の視点だったものが、プレイヤーにのみ混和されるモメントであった。小次郎とまりなの見た物だけが、物事の表裏であり真相であるという刷り込みが、突如として覆される瞬間でもある。
 もちろん、それまでの経緯による真弥子との懇親から、彼女との別れは悲痛である。しかし、彼女との別れが来た時、何故これ程までに心揺さぶられたかといえば、 日記の衝撃的な内容により、一連の事件の真相と真弥子が秘めた心の葛藤を知る事であったに他ならない。事件の真相もそうであるが、ここで小次郎やまりなを通じて、 彼女がその時々に見せた表情や言葉が、如何なる心情のもとで発したものであったかを知る訳である。
 私は人並みの生活をして、人並みに恋をしたい・・・みんなと一緒に笑いたい。一緒に喜びたい。そんな当たり前の事を希う真弥子の姿を目の当たりして、思わず感動せずにはいられない。
 そして何より真弥子の最後の言葉で思わず泣かされてしまった。
  彼女の憂いとは裏腹、誰もが彼女の事を心に刻み込んだに違いない。 忘れろと言われたって忘れるものでもない。稀に見る感動のクライマックスである。 それに比べると、続編に於いての栗栖野亜美の今際や父親を殺害されたトア・ノバルティスの慟哭など、陳腐すぎて何ら比べるに値しない。
  巧妙に仕込まれた数多の伏線を塞き止めるだけ塞き止めて満杯にした挙げ句、一挙に堰を切って感動の濁流を流す方式は、正しく秀逸である。 このシーンは、生涯忘れ得ぬだろう。
  「EVE burst error」、いや、EVEシリーズ4部作中の最高の名場面 である。

 

▲010▲ ●2000.10.01●
■御堂真弥子に見えたもの■
 「EVE burst error」、この作品の主人公はいったい誰であろうか?
天城小次郎と法条まりな、と答えるのが正解なのであろうか?
では、「EVE burst error」とは、誰の話なのだろうか?
  小次郎やまりなの方こそ狂言回しであり、物語の核心とはまさしく御堂真弥子なのではなかったか?
  劇中の展開こそ、真弥子の人生そのものの如しであり、実質的に、彼女の短すぎる人生の終焉と共に物語も終演する。
  私は人並みの生活をして、人並みに恋をしたい・・・みんなと一緒に笑いたい。一緒に喜びたい。
それこそが彼女にとって、ささやかながらも強く切望する願いであり、幸せでもあった。恐らく彼女は自分の人生が酔生夢死で終わってしまう事を最も憂いており、今、自分がここにいるという事実を知っていて欲しかった。自分という存在を覚えておいて欲しかったに相違ない。
  そんな悲劇的な状況にも関わらず、彼女の行動は常に前向きであり、 自分の人生を人間らしく、精一杯生きよう、刹那を光り輝こうとした彼女のひたむきさが見える。そして、最後の最後には、自分なりに思うところの幸せに到達出来たと思う。
  それらは、端的に御堂真弥子というキャラクターの魅力そのものであったが、同時に「EVE burst error」という作品の主眼でもあった。彼女の行動や言葉こそ、まさしく「EVE burst error」のテーマなのである。
  物語として、「EVE burst error」の結末は重々しいが、 最後に幸せそうな4人の写真を見せられる事により、4人の幸ある未来を夢想し安堵でき、 この作品が単なる悲話ではない事を印象づけている。
  といっても、その安堵も「EVE The Lost One」で粉々に破砕されるが・・・。
  これもまた、おしなべて言えないであろうが、得てして制作者の意図が多分に伝わる作品というのは、名作である事が多いと思うし、その逆に、伝わりにくい作品は評価しにくい。また、制作者にテーマなぞ無いという論外な作品も世には多々ある。
  その点において、「EVE burst error」は、作品のテーマを強烈に刻みつけた作品であったし、その完成の仕方が秀逸であるが故に、「EVE burst error」を支持して止まぬのである。

 

▲011▲ ●2000.10.01●
■最後に■
 つらつら「EVE burst error」への賛辞を述べた。
 ただ、残念な事に、未だに「EVE burst error」を超える続編は出ていないし、また出る気配は微塵もない。それでも「EVE burst error」より生じたキャラクターや設定、世界観を受け継いだ後の続編を含めて、EVEシリーズを愛して已まない。興味津々、作品の出来栄えはともかくとして、続編が出れば買ってしまうだろう。 それだけの影響を残す程、「EVE burst error」とは筆者にとって特別 な作品なのである。
  「EVE burst error」は最高のAVG作品であると今でもそう思っている。

 

 

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